1988年に初めてニューヨークに行きました。当時、勤めていた会社がアッパーウエストサイドのコロンバスサークル近くに部屋を持っていたのです。研修で滞在し、野球を見にヤンキースタジアムへ行きました。
天候はどんより。4月でしたのでまだまだ寒い。で観客はパラパラ。途中から雨が降り始めて1時間くらい中断と最悪。しかたなくホットドッグを食べようとスタンドへ。きっと大きいんだろうなと思ってとりあえず1つ。ところが意外と大きくなくペロリと。すぐ1本イケて、おかわり。ホットドッグスタンドのスタッフは「おおー兄ちゃんまた来たね」というカンジでウエルカムしてくれました。
たしか相手はブルージェイズ。内容はヤンキースにエラーが出たりして、天候通りにお寒い内容。でヤンキースは負け。テレビでも珍しく不調のヤンキースを特集していましたね。
当時 日本人は誰もいません。マッシーさんが1963年。野茂さんが1995年。今の状況は誰にも想像できなかったように思います。
グッズショップに立ち寄りまして、当時の4番、打点王を獲得しているスター、ドン・マッティングリー選手のTシャツを買いました。当時はまだいろいろな選手のグッズはあまりなくて、チームのスターくらいしかグッズを作っていなかったように思います。キャップも買いました。
ドン・マッティングリー選手の23番は後で永久欠番になっています。後輩のバーニーウイリアムス選手へのいじめを止めた優しいエピソードもあるようです。バーニーウイリアムス選手も51番が永久欠番になっていて、イチロー選手が憧れだった選手です。物語は引き継いでくれていますね。
ただキャップは、友人から「それいいね。頂戴~」といわれてあげた思い出があります。なんでヤンキースの帽子は人気なのでしょう。若いママがアクセントとしてかぶっているのが好きですね。

昔、読売ジァイアンツがフロリダのベロビーチ、ドジャースのキャンプ地でキャンプをして、ドジャースと交流している写真を見たことがあります。川上監督がドジャーズの戦法を学ぶためだったんです。
サイン、リリース専門の投手など新しい戦法を取り入れたんですね。
それが今につながっている。ますます交流して欲しいです。