いまでも人々の記憶にある1985年8月12日の事故。その年、大阪の会社に就職しておりまして、夏の帰省どうしようかと考えていたところ、日航の関連会社に就職していた大学の同期から飛行機を薦められました。新幹線もいいけどたまには飛行機に乗るのもいいかと素直にそのおススメに乗ることに。
伊丹から羽田に帰ってきたのは前日の8月11日。久しぶりの飛行機でしたので結構揺れて、ああ飛行機ってゆれるなあという印象だったのです。
翌日、大変なことが。羽田発大阪行きの便が消えて墜落したニュースを知ることに。信じられず身震いが。ずっとテレビを見てしまいました。前の日に利用した飛行機が。
その3日後、夏休みが終わって大阪へ帰ります。その便、便名が123便でした。事故を起こして間もない時でしたので、まだ便名として123便が残っていたのです。
羽田の出発カウンターは大混乱です。機内に行くと「今日は大丈夫だろう」といったなんとも言えない声が聞こえました。
伊丹に無事着陸したときは、機内でパラパラと拍手が起きたのを聞きました。人生でこんなに張り詰めた拍手はあとにもさきにもありません。
「墜落の夏」吉岡忍さんの本を買って何度も読みました。真実を知りたくて。
事故にあわれた方には本当におくやみしかありませんが。私が経験した昭和の夏の1ページでした。